令和8年度用 探求 現代の国語 カタログ
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教科書(八〇〜八五)評論Ⅱ純化することに成功したのである。評論「読む」との関わり▼解釈の多義性「最も活発な解釈を許す、むしろ、誘発するのが文学的表現である。」(七八・美の「神様」は、活発な解釈を読者に誘発する。読者は、宗教・生物種・性別などの違いに由来するコミュニケーションの困難さの中で、それでも互いに理解し合おうと努力する「わたし」と「くま」に、共感を覚える。その中で読者は、「読む側での活発な推量、判断による解釈」(七七・15)を必要とする、積極的で創造的な読みを行っているはずである。山崎正和は「柔らかい個人主義の誕生」で、芸術的鑑賞は、鑑賞者が受動的に美的欲望を満足させるのではなく、自らも能動的に楽しんでいるのであるというようなことを書いている。「読む」と「神様」を通して改めて確認できるのは、まさにこういうことであろう。うことは難しいと承知しつつも、人間社会になじもうとする自分の努力に応じてくれた□わたし□に、せめて自分の信じる神様の恩恵を施してあげたいという思い。解説□くま□はなぜ□神様□ではなく、□熊の神様□と言ったのか。それはおそらく□くま□には熊の神様がいて、□わたし□には人間の神様がいることを、はっきり意識していたからである。□くま□は□わたし□を散歩に誘い、弁当を食べ、昼寝をした。□わたし□は、□くま□の要求に従うだけでなく、自分からも干し魚作りに協力し、帰り際には抱擁を交わしさえした。しかし、□くま□と□わたし□は信じる神様も違えば、有している習俗や文化・体質的な特徴もまったく違う。事実、抱擁を交わしたときに□わたし□が□くま□に感じるのは人間とのあからさまな違いである。異なる世界に生きる者どうしが、互いを理解し合うことの難しさを、□わたし□はつくづく感じたであろう。本文では異世界からやって来た者を□くま□に設定しているが、この□くま□を別のものに置き換えて読むことは少しも難しくない。□くま□を外国人、年齢差のある人、政治的信条の異なる人、宗教的信条の異なる人に置き換えた場合、本文はリアルな問題を我々に突きつけるだろう。指導資料指導資料(〈知〉の深化)          実際、□わたし□と□くま□のように、世界観の違う者どうしが、できる限り相手を受け入れる努力をしながら、生活を営み、共同で作業するという場面は、現実にしばしば直面することである。いや、極言すれば、この世界のすべての人間は皆世界観・行動・体質的特徴の違うものであり、どれほど似たような環境に属する人間どうしであっても、共同生活・共同作業を少しでも行えば、早晩互いの世界観や振る舞いの違いを嫌というほど思い知らされるはずだ。□くま□もその難しさを理解しつつ、それでもやはり、□わたし□に熊の神様のお恵みを施したかったのではないか。1の問いを踏まえて、七九ページ「〈知〉の深化」の問い(↓本指導書二三六ページ)について考えてみよう。読解答□神様□というタイトルの意味人々がそれぞれ信じ、大切にする、世界観や習慣、文化、信条。そのように解釈した根拠それぞれ別の世界観や習慣、文化、信条を持って生きている□くま□と□わたし□が、ともに一日を過ごすため、そういった互いの違いを尊重し、受け入れよ〈知〉の深化 神様◆◆◆うと努力していたから。解説かさず、魚の調理も器用にこなし、食器類も丁寧に洗い、□わたし□に紳士的に振行動を露呈するという過ちも一度ならず犯してしまう。人間の生活スタイルを受け入れようと必死に努力はしているが、かんともしがたい。□わたし□もそれに気づいているだけに、別れ際に□くま□から抱擁を求められたときには、やはり緊張感があったのではないだろうか。今のところ、対人間的に問題を起こしているという事実は認められないから、いきなりがぶりという可能性は低いものの、完全にその可能性が0であるという保証はどこにもない。もしこの小説の登場人物が□くま□ではなく、人間の男性との初めてのデートにおける人間の女性の緊張感を描くだけの小説だったとしたら、互いのよって立つ世界観の違いは、これほど鮮明にならなかっただろう。また、宗教的な色彩が強まってしまった場合は、客観的な視点での読みのやりにくさが出ていたかもしれない。□熊の神様□という見当がつかない□神様□だったからこそ、世界観の違う者どうしの共存への祈りを深めよう2時るジ□折舞のくクう皮まマ。へ□のしのは本か衝、性し動□が、を周表そ抑りれのえにて一切対し方れすま、ずるう魚、配評論との関わり 評論テーマとのや本慮のつながりや、読み比べの意義はオ能□、レ的をについて解説しています。いンな欠15)と外山滋比古が言うとおり、川上弘93

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