令和8年度用 探求 現代の国語 カタログ
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芸術や、感性的な認識について探本文において、筆者は、障を踏まえたうえで、視覚に障害のある人について便宜上、「見えない人」との表現を用いている。この教科書でもその表現にならった。ん5教科書               見えない人が「見て」いる空間と、見える人が目で捉えている空間。それがどのように違うのかは、一緒に時間を過ごす中で、ふとした瞬間に明らかになるものです。例えば、木下路徳さんと一緒に歩いているとき。その日、私と木下さんは私の勤務先であるT大学3大おお岡おか山やまキャンパスの私の研究室でインタビューを行うことになっていました。私と木下さんはまず大岡山駅の改札で待ち合わせて、交差点を渡ってすぐの大学正門を抜け、私の研究室がある西9号館に向かって歩き始めました。その途中、十五メートルほどの緩やかな坂道を下っていたときです。木下さんが言いました。「大岡山はやっぱり山で、今その斜面を下りているんですね。」私はそれを聞いて、かなりびっくりしてしまいました。なぜなら木下さんが、そこを「山の斜面」だと言ったからです。毎日のようにそこを行き来していましたが、私にと瞰かん的で空間全体を捉えるイメージでした。ってはそれはただの「坂道」でしかありませんでした。つまり私にとってそれは、大岡山駅という「出発点」と、目の見えない人は情報の洪水から自由であるぶん、空間を大きく俯瞰的に捉え曲がってしまえばもう忘れてしまうような、空間的にも意味的にも他の空間や道から分節化された「部分」でしかなかった。それに対して木下さんが口にしたのは、もっと俯ふ確かに言われてみれば、木下さんの言うとおり、大岡山の南半分は駅の改札を「頂上」とするお椀わを伏せたような地形をしており、西9号館はその「麓」に位置しています。10その頂上から麓に向かう斜面を、私たちは下っていました。西け9れ号ど館もと、い見うえ「る目人的に地と」っをてつ、そなのぐよ道う順なの俯一瞰部的ででし三か次な元く教材紹介「目の見えない人は世界をどう見ているのか」 伊藤亜紗、的なイメージを持つことはきわめて難しいことです。坂道の両側には、サークル勧誘の立て看板が立ち並んでいます。学校だから、知った顔と擦れ違うかもしれません。前方には1美学究する学問。2見えない人害の程度は人によりさまざまであること3大岡山東京都目黒区の町名。鉄道会社の沿線開発に伴い、一帯が学園都市となった。俯瞰的分節化勧誘紙面紹介 「目の見えない人は世界をどう見ているのか」15実実社社会会ⅡⅡ193 目の見えない人は世界をどう見ているのか4949ることができる―人の身体が持つ豊かな可能性について考える文章です。

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