揮するところに、実は言葉の昔も今も変わらない偉大な力があるのだった。今、言葉を大切にしようと多くの人が言う。言葉を愛しましょう、言葉を守りましょう、と多くの人が言う。その場合、根本の問題は、その大事なすばらしい言葉というのは、実はその辺にごろごろ転がっている当たり前の日常の言葉なんだということに対する徹した認識があるかないかということだろう。その辺に転がっている言葉以外に、すばらしい言葉なるものはないんだということに気がついてくると、私たちの口をついて出てくる一語一語の大切さが、しんからわかってくるということにもなる。どこか別の場所に、万人がいっせいに認めるような、誰が見てもすばらしいという特別な言葉があって、それをあがめ奉っているのが言葉を愛することであり、言葉を大事にすることであるならば、こんな簡単な話はない。よく、「詩を書こうと思っても、語彙が貧弱で……。」と言う人がいる。私は常々そういうことがありうるものかどうか疑わしく思っている。自分以外のどこかに「語彙」の宝庫があるかのように聞こえるからだ。問題は紛糾していないのに野望が紛糾している一例ではないかと思う。日常用いているありふれた言葉が、その組み合わせ方や、発せられる時と場合によって、突然すごい力を持った言葉に変貌する。そこにこそ、「言葉の力」の変幻ただなら紙面紹介 「言葉の力」****5教科書 評論Ⅰ151038〈知〉の深化教材紹介「言葉の力」 大岡 信2525ささやかな言葉の集まりが、時として驚くべき力を発揮する―ありふれた日常の言葉の大切さを綴った評論です。
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