評論Ⅰ金かな槌づちでたたいたりするほか、食事道具もその仲間です。 道具の多くは人間の能力を補強します。自転車は足の、望遠鏡や顕微鏡は目の、メガホンは発声器官の増強です。記憶する代わりに文字を残す書籍や、計算能力の代替が起源であるコンピューターは、脳の補強でしょう。 中でも手の代替となる道具は多く、はさみで切ったり、 これらの道具の最初は、自然界にあるそのままのものを利用したのでしょうが、人間はしだいに道具を作るようになります。使いやすい石を探すより石器に加工する方が良いと気づくのです。 そこには、目の前にないものをイメージする能力が働いています。場合によっては、道具を作るための道具を作るという、段階を踏んだ作業をしたりもします。この「より良いもの」を求める発想がデザインです。 「ほどほどのデザイン」では、箸などの日本的な道具のデザインを見直しています。箸の起源もそのあたりにあった小枝や茎でしょうが、どのようにデザインしたのか、そこに私たちの祖先が描く「より良い姿」があったはずです。そして、それは「文化」と呼ぶべき行為です。 皆さん自身の生活や人生でも、「より良いもの」を求める発想をしてみたらいかがでしょう。未来の姿を思い描きながら、自分をデザインするのです。評論プロ解「評論単元」についてプロローグ解説1「ほどほどのデザイン」を読む前に道具と人間デザインをする発想多様なジャンルの教材を12本採録しました。近代的価値と近代を乗り越える視点を段階を踏みながら学習できます。評論単元 25 プロローグ解説114「プロローグ解説」各評論教材の前に、本文読解の指針となる解説を示しました。学習者にとって身近な事例を用いた内容となっており、評論学習の導入として最適です。
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