令和8年度用 新 現代の国語 ダイジェスト版
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体験と思索評論学習にも繋がる論理性の高い随想を選定。深い思索をもとに人生を真正面から問う文章を5編採録。51014 人間は毎日生活している間に、「あれ、ふしぎだな。」と思うときがある。それにも大小さまざまがあり、ふしぎだと思いつつすぐ心から消えてしまうのと、あくまでそのふしぎさを追究していきたくなるのと、相当に程度の差がある。 「ふしぎ」の反対は「当たり前」である。大人はだいたい「当たり前」の世界に生きている。ところが、それを「当たり前」と思わない人がいる。 りんごが木から落ちるのを見て、「ふしぎだな。」と思った人がいる。この人はそれだけではなく、その「ふしぎ」を追究していって、最後は「万有引力の法則」などという大変なことを見つけ出した。りんごが木から落ちることは、それまで誰にとっても「当たり前」のことだったのに、ニュートンにとっては、それを「心に収める」のに大変な努力が必要だった。そして、彼の努力は人類全体に対する大きい貢献として認められた。 「人間は必ず死ぬ。」これも当たり前のことである。しかし、これを当たり前と思わず、「人間はなぜ死ぬのか。」と考え続けた人がいる。釈しゃ迦か牟む尼には、それを心に収めるために、12131 万有引力 質量を持つすべての物体の間に働く、引き合う力。2 ニュートンIsaac  Newton(一六四二~一七二七)。イギリスの数学者・物理学者・天文学者。1 「心に収める」とは、どういうことか。3釈迦牟尼 前五六三?~前四八三?。仏教の開祖。本名はゴータマ・シッダールタ。仏ぶっ陀だ・釈尊などとも呼ばれる。学びの位置づけ(一三ページ)ふしぎと人生 河かわい合 隼はや雄お1言葉に表す51015 キスカ島、八月。 夢の中で、うねるようなベーリング海の波を感じ、目が覚めた。時計を見ると、もう九時を回っている。米海軍所属ジミットは、鎖のように連なるアリューシャン列島をキスカに向かっていた。絶え間なく低気圧を生み出すこの海域は、ある公式文献には世界最悪の海と記されている。夜半からぶつかった小さな嵐は、ようやく朝までに通り過ぎていったらしい。 アリューシャン列島は、アラスカ半島から西に弧状に伸びる火山島の連なりである。全長は約二千キロにも及び、その西端に位置するキスカはもうカムチャツカに近い。一年を通じて霧に覆われ、年間の晴天日数は一か月にも満たないという。昨日、アダック島を出港したのも降りしきる雨の中だった。 甲板に出ると、すでにキスカが迫っていた。アリューシ12345678アリューシャン列島周辺図アリューシャン、老兵の夢と闇星ほし野の道みち夫お学びの位置づけ(八七ページ)964他者と向き合う71 世界の周縁に身を置く人1 柴田元幸  一九五四~。2 赤塚不二夫  一九三五~二〇〇八。漫画家。3 村上春樹  一九四九~。小説家・翻訳家。4 ポール・オースター PaulAuster(一九四七~)。アメリカの小説家。5 スティーヴン・ミルハウザー  StevenMillhauser(一九四三~)。アメリカの小説家。6 リチャード・パワーズ  RichardPowers(一九五七~)。アメリカの小説家。7 スチュアー卜・ダイベック  StuartDybek(一九四二~)。アメリカの小説家。周縁 師匠510 翻訳家柴しば田た元もと幸ゆきさんがとある雑誌のインタビューで、子どもの頃好きだった本として、赤あか塚つか不ふ二じ夫おさんの「おそ松くん」を挙げているのを発見し、意外な気がした。村むら上かみ春はる樹きさんの翻訳の師匠であり、ご自身、ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、リチャード・パワーズ、スチュアー卜・ダイベック等々、魅力あふれるアメリカ文学の翻訳者である柴田さんならば、さぞかし小さい頃から大人の文学にどっぷりと浸っていらしたに違いない、と思っていたからだ。 しかし、「おそ松くん」を愛読した理由を読んで、いっぺんに納得した。つまり、いちおう主人公はおそ松くんなのだが、チビ太やイヤミといった脇役が魅力的で、自分は強気の人が中心で威張っている世界よりも、周縁の人間、〝はじっこ〟にいる人間の方に心をそそられる……というのである。1234567世界の周縁に身を置く人小お川がわ洋よう子こ学びの位置づけ(六三ページ)チビ太(中央)とイヤミ(右)©赤塚不二夫3視点を変える23 読書は必要か?  新聞に、「読書をしなければいけない理由を教えて頂きたい」という「大学生の投稿」(文章Ⅰ)が掲載され、歌人の穂ほ村むら弘ひろし氏が答えている(文章Ⅱ)。読書は「人生の必修科目」なのだろうか。読書時間に関するグラフ(資料)も参考にして考えてみよう。11 大学生の投稿  大学生の読書時間に関するアンケート結果を報じた新聞記事(二〇一七年二月二四日)を受けての投稿。上の投稿文が掲載されたのは、「朝日新聞」二〇一七年三月八日の朝刊。1「大学生の読書時間『0分』が5割に」というのは、二七ページのグラフのどの部分に基づいているか。 読書はしないといけないの?       大学生(東京都 21)「大学生の読書時間『0分』が5割に」(2月24日朝刊)という記事に、懸念や疑問の声が上がっている。もちろん、読書をする理由として、教養をつけ、新しい価値観に触れるためというのはあり得るだろう。しかし、だからと言って本を読まないのは良くないと言えるのだろうか。 私は、高校生の時まで読書は全くしなかった。それで特に困ったことはない。強いて言うなら文字を追うスピードが遅く、大学受験で苦労したぐらいだ。 大学では教育学部ということもあり、教育や社会一般に関する書籍を幅広く読むようになった。だが、読書が生きる上での糧になると感じたことはない。 役に立つかもしれないが、読まなくても生きていく上で問題はないのではないかというのが本音である。読書よりもアルバイトや大学の勉強の方が必要と感じられるのである。 読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であり、読んでも読まなくても構わないのではないか。なぜ問題視されるのか。もし、読書をしなければいけない確固たる理由があるならば教えて頂きたい。1文章Ⅰ 大学生の投稿学びの位置づけ(一三ページ)読書は必要か?複数の文章(Ⅰ・Ⅱ)と資料から考える二〇一七年二月二四日の新聞記事 発端となった新聞記事を見てみよう。▼二次元コード掲載1言葉に表す510202 「おまえは自分が生きなければならないように生きるがいい。」という言葉が好きだ。ロシア革命直前のモスクワの貧民街に生きる人々の真実を生き生きと描き出したロシアの作家レオニード・レオーノフの最初の長編「穴熊」に出てくる、名もない老帽子屋がポツンとつぶやく印象的な言葉である。 この帽子屋は、生涯一日に一個の帽子を作り続けてきた。「おれはもう老いぼれだ、どこへゆくところがあろう? 慈じ恵けい院いんへも入れちゃくれねえ……おら血も流さなきゃ、祖国を救いもしなかったからなあ。しかも目のやつあ――畜生め――針を手に取り上げてみても、針も見えねえ……糸も見えねえ。だからさ、な、若わけえの、おら役にも立たぬところをいつもむだに縫ってるんだ。……ただこの手、手だけがおれをだまさねえんだ……。」 そして帽子屋は、レーニンの軍隊がクレムリン砲撃を始める前日の、厳しく冷たい真夜中に、「古くなった帽子のように」誰にも知られず、石造りの粗末なアパートの隅で1231451 ロシア革命  一九一七年にロシアで起こった革命。2 レオニード・レオーノフ Leonid Maksimovich Leonov(一八九九~一九九四)。「穴熊」は一九二四年の発表。3 慈恵院  貧しい人や身寄りのない老人を収容して援助をする施設。1 「この手」が帽子屋を「だまさ」ないことを、別の言葉で説明した部分はどこか。レオーノフの帽子屋 長おさ田だ 弘ひろし学びの位置づけ(一八五ページ)7つながりを見いだすふしぎと人生読書は必要か?レオーノフの帽子屋 アリューシャン、老兵の夢と闇世界の周縁に身を置く人「ふしぎ」に答えるものとしての「物語」は、自分と世界との関わりを示す    物語と自然科学の違いを探る随想です。「読書の必要性」に関する大学生の寄稿に、歌人の穂村弘氏が答えます。両者の意見を読み比べて、類似点と相違点を考えます。老帽子屋の生涯を通して、人の生のあるべき姿をめぐって考察した随想。「いかに生きるか」を考える契機となります。戦後生まれの筆者が受け止めた、日米元兵士たちの思い    戦争を知らない世代が戦争とどう向き合うかを問いかけます。主人公ではない〈世界の周縁に身を置く人〉に注目し、中心からあえて視線をずらしてみることの意義について考えます。12アリューシャン、老兵の夢と闇世界の周縁に身を置く人

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